伊勢型紙について

伊勢型紙について

伊勢型紙

伊勢型紙とは、本来着物の生地に柄を染め付けるための型紙で、 千年以上にわたり三重県鈴鹿市で技術が継承されてきた伝統工芸品(用具)です。 和紙を加工した紙(型地紙)に彫刻刀で、着物の文様や図柄を丹念に彫り抜いたものです。 型紙を作るには高度な技術と根気や忍耐が必要です。文様や図柄を、錐彫・突彫・道具彫・引彫の4技法でひとつひとつ丹念に彫り込まれた、人の手が生み出す芸術品で、伝統美と気品あふれる華やかな品々です。

伊勢型紙

友禅・小紋・浴衣などの柄や文様を生地に染めるために用いるもので千年以上の伝統を誇ります。和紙を柿渋で加工した独特の型地紙に彫刻刀等で図柄を彫り抜いたものです。高度な技術とセンスで緻密かつ繊細さを表現した伝統工芸です。人間国宝と呼ばれる職人たちがそれぞれの技術を駆使しながら伝統ある工芸品を現代に合わせて作っています。

渋紙(型地紙)

彫刻をするための紙を「型地紙」と呼びます。 和紙を縦・横・縦と柿渋を使って張り合わせ、天日乾燥と燻製を繰り返し行って、約1ヶ月半かけて仕上げます。現在、型地紙を生産しているのは全国でも、白子・寺家地方だけです。当社は、数少ないその生産会社の1つで、長い歴史をかけて守ってきた伝統をこれからも職人一同守っていきます。

伝説

型紙の発祥には様々な言いつたえがあります。狩野吉信(1552~1640)が描く職人尽絵に型染職人が描かれているので室町末期にはあったと考えられています。子安観音寺の不断桜の葉から掲示を得たという伝承など様々な説が残っています。伊勢型紙としては、江戸時代に入り紀州藩の保護を受け飛躍的な発展をとげ、今日まで伝承され続けてきました。

伊勢型紙の歴史

型紙のおこり

諸説あり、平安期、室町期など伝説に近いものも

型紙のおこりについてはいくつかの説があります。
奈良時代に孫七という人がはじめたという伝説をはじめ、子安観音の和尚が虫食いの葉を見て型紙を思いついたという伝説、平安時代には、型売り業者がいたといわれていたり、応仁の乱の時に京都から逃れてきた型彫り職人が型彫りの技術を伝えたという説など、いくつもの伝説や言い伝えがありますが、特定できる説はなく解明されていません。
しかし、もともと白子には、和紙も型染もなかったため、京都との結びつきや紀州からの伝搬など、他の地域との関連を考える説が多くあります。

江戸時代の発展

紀州藩の保護を受けて大きく発展、小紋の発達

江戸時代に入ると、白子は紀州藩の天領になります。そして、伊勢型紙は紀州藩の保護を受けて発展していきます。
このころ武士の裃に型染がもちいられ、その小紋はどんどん細かくなっていきます。
型を彫る職人と染める職人の協同で、発展をしていったといわれています。また型売り業者は株仲間を組織して、紀州藩の保護を背景に全国各地に型紙を売り歩きました。その結果全国的に伊勢型紙はひろまりました。

明治からの流れ

株仲間の解散、繁盛する時期もあれば、戦争で打撃を受けることも

明治時代になって、江戸時代に組織されていた株仲間は解散します。近代化の流れをうけて、衣服の文化も変わっていきますが、消長をくりかえしています。しかし、太平洋戦争で大きな打撃を受けて、型紙業者がほとんどいなくなります。終戦後に国内の復興が進むと、また着物の需要が増えていきます。型紙業者も戻っていき、昭和40年代にピークをむかえます。そして現代の、新しい技術の普及によってだんだんと型紙の需要は減っていきました。

現代の型紙

着物離れが進み、技術を保存する方向で進む

現代では着物の需要が、新しい技術を用いて染色するために型紙の需要が減っていますそのため型紙業者も激減しました。しかし、伝統的工芸品(用具)である伊勢型紙の技術を伝えていくために、技術保存会が立ち上がりました。また新しい活用法を模索しており、照明器具などへの応用や、建築建具に用いるなどの活用を図っています。

彫刻の四技法

錐彫【きりぼり】

半円筒形の刃物を使用して大小の孔をあけ、その連続で文様を作っていきます。細かいものでは1cm2 に100個もの孔を彫ったものもあります。
最も古い技法で、単純な柄が多いだけ難しいとされています。

突彫【つきぼり】

孔のあいた杉板を敷き、その上で刃の幅が1~2mmに磨き尖らせた小刀を垂直に上下させながら前に掘り進めます。彫りあがった線は、独特の揺れた感じがあり、人間的なあたたかさを最も感じ取れる技法です。

道具彫【どうぐぼり】

花びら・菱形・米粒などの形を2枚の刃を合わせて作り、ひと突きでそれらの形を彫り抜く技法です。
道具作りそのものが難しいとされ、職人の力量が最も重要になってきます。江戸時代後期から発展し、小紋柄などに多く使われています。

引彫【ひきぼり】

本来、小刀を手前に引いて直線を彫る縞彫の技法を指す言葉ですが、最近では小刀を引いて彫る技法を広くまとめて「引彫」といいます。
刃を2枚合わせる彫り方もあり、友禅・中柄の浴衣などその応用範囲は広いです。

製造工程

渋紙(しぶがみ)作りについて

伊勢型紙に欠かせない型地紙。彫刻と染めに耐えられるように水に強く伸縮しにくいのが特徴です。
材料は和紙と柿渋のみ。全てを手作業で行い、完成まで50日あまりかかります。

一 法造り(ほづくり)

紙は楮(こうぞ)を手すきした美濃和紙を使い、あらかじめ規格サイズに裁断しておく。この作業を「法造り」といいます。

二 紙つけ

藁刷毛(わらはけ)を使って和紙に高粘度・高濃度の柿渋(かきしぶ)を塗り、3~4枚を張り合わせます。
その際に、縦・横・縦と繊維の向きを交互にすることにより裂けにくくなるように工夫しています。

三 生紙張り(なまがみばり)

紙つけをして、2・3日ビニールシートに包んで寝かせた(この工程を熟ますといいます)生紙を張板(檜板)の表裏に張っていきます。
張板1枚に合計2~4枚の生紙を張っていきます。

四 天日干し

張板に張られた生紙を天日で乾燥させます。
良く晴れた日なら表裏合わせて4~5時間で乾きます。
両面とも完全に乾いたら竹ベラで起こしながら地紙を張板からはがしていきます。

五 こそげ(1回目)

型彫りの際に道具を痛めつけないために、地紙についたゴミや渋カスなどを包丁で削るようにして取り除きます。
菜切り包丁でゴミなどをこそげ取ることから「こそげ」といいます。

六 室枯し(むろがらし)

室(燻煙室)の中に地紙の両部に穴をあけ、針金を通して約2㎝間隔で吊り下げてます。
杉や檜のおが屑をくすべ、7日~10日ほどいぶします。室から出した後、渋をつけてもう一度室でいぶします。 これにより伸縮がしにくい紙になります。

杉や檜のおが屑を並べていぶす

室の内部

室の内部

七 渋つけ

低粘度・低濃度の柿渋につけます。

八 しぼり・紙張り

ロールの棒でしぼり、2時間ほど寝かせます。
その後、もう一度板に張り付け、一晩寝かせます。

九 天日乾燥

翌朝、板に張り付けたまま天日で干します。

十 こそげ(2回目)

ここで、2回目のこそげを行います。
板からはがした紙の表裏を菜切り包丁で削り取ります。

十一 室枯し(2回目)

2回目の室枯しを行います。
2回目の室枯しも、1週間ほどおが屑でいぶします。

十二 仕上げ

1枚ずつ綿布で紙の表面を拭き、1等品・2等品などの選別をして3カ月半~半年ほど寝かせて出荷します。